昭和41年12月12日 朝の御理解
昨日の午後からでございましたが、高芝さんところの長男のまさおさんが、子供家内それから家内のお母さんと、親子四人ででで参りましたけれど、子供が大変具合が悪かった。丁度小児麻痺になる前提という、その病気なんです。もう時間を争うと言う様な事でございましたし、また今日がいよいよと言った様な所も、通らせて頂いたんですけれども、おかげを頂いてま、全快のおかげを頂いての、御礼参拝をされました。まさおさんが、先生始めて神様一心にお縋りしました、というております。
自分の子供になるとこげん一心になる。子供を持って合点せよと。天地の親神様が、いわゆる、神が氏子を守っておって下さることを、悟れとこう仰るが、ね、ただその子供のときにそうに心配をするという事と、同じ様に天地の親神様が、これはあんた達氏子の一人ひとりのことを、こげな思いで心掛けておって下さっておるのであり、心配して下さっておるのであるということを話したんですけれども。
田主丸のほうへ電話をかけましたら、父が心配するな、心配いらん俺がお願いするからとそのように申しましたから、大体安心はしとりますけど、やっぱり不安でたまらなかったんですけれど、まぁこうやっておかげを頂いてみればですね、何でもないことのようですけれども、ほんとにおかげを頂きたいと、それよりもほんとに有難いと思ったことは、あちらの弟さん、盛昭さんが、今回御神米とお神酒さんを頂いて、持ってきてくれてそれを頂かせたその晩からおかげを頂いた。
もうそれは本当にどんなに信心のあるもんでも、いわばあちらのお母さんは信心ないもんですけれども、ま、おかげあれがおかげと言わにゃおられないと、言うほどにおかげを頂きました。ほんとにあのいよいよ際どいというか、いよいよと言う時に信心させてもらいよりますと信心のおかげを頂かれる。ほんとにいまはおかげを頂かれると御礼参拝してきておるけれども、これがひとつ間違えば、皆がお葬式でもせんならんという事になるのだから、おかげを受けたということは、もう大変なことだと。
紙一重のところなんだ、というて、私はあの今度後本部参拝を致します前日でございましょうか、あの久富さんが、御礼に出て見終えられまして、あの久富組です、先生広大なおかげを頂きました。で、その話をまさおさんにするんですよ。信心とあるものとない者の違いということを、ね。信心があっても雨や嵐もあるけれども、あり具合が違う。いよいよというときに、こうしておかげを受けられるんだということはですね、あぁちらの砂利を久富組、砂利の積んどる車が、川の中に転落しました。
いわゆるあのシャフトが折れてですね、ハンドルを取られたんです、そしてそのまま真っ逆さまにトラックがいっとる。ま、飛び込んだち言うより落ち込んでるわけですね。それをその直後にですね、その直後に長男のかつたかさんが、そこを通り合わせた。ぜんぜん行ってる所も目的も違うって言ってるんですよ。そしてそこを通り合わせてから、そのあぁあそこに自動車がおてこんどるぞ、助手との話しなんですね、かつたかさんが、あれは違わんごつ運転手は死んどるぞ。、
そこを傍に行ったところが、その自分方の車じゃった。行ったらもうびっくりして早速もう救急処置をとらせて頂いてですね、おかげを頂いてから、運転手も助手も無事にもう無我夢中で、なあんにも覚えていなかったと、這い出してきましてね。川の中から自動車の中から、どんなにして自動車の中から出てきたか分からん。ほいで広大なおかげを頂いたとこう言うて御礼に出て参りました。その前にですね、ちょっとしたことがあったんですけどもね、それは今度トラックを買いました。
そのときに神様に御礼お届けしてから、ご神米を頂いてから乗らにゃいかんよと言うけれども、信心がないものですから、そのまま使いよった。そのこちらの方からその善導寺のガソリンスタンドをやっとりますから、あちらの方のそれっきりでですね、自動車が動かんごとなった新車が、ね。それから新車が動かんごとなりましたらですね、もうれから間髪入れず何か大きな、なんですかあのトラックの大きいやつ、あれがですね、通ってから離合する時にその新車に傷つけた。
だからもうほんとにびっくりしましてからですね、これはもうこの車はいらんというて向こうへ返品したそうです。勿論どういう事のご都合じゃったか分からんけれども、今日でも言うて下さい。私幾ら言うてもあの子供達が言うこと聞きませんでしたけれど、この車こんな事でしたから、これからは違わん、あの車買うたら一番に御礼に出て来ることでございましょうと言うて。そう言う様なことがありました四、五日後に今申します様にそのトラックが、砂利を満載してから川ん中に飛び込んでおる。
しかもその間髪を入れずでですね、そこを通り合わしたのが、そこの久富組の長男だったちゅう、実にその成程神様におかげ頂いとるなあ、いよいよ、いよいよん時にそういう神様のお働きを頂けるなと、言う事を感じます。これもやっぱりあの正義さんところですから久富建設の方、兄弟ですから。丁度御本部参拝の日に、私共あちらへ送ってくれる為参りましてから、昨日ならどんこん出来ませんでしたけども、おかげ頂きたいと、昨日はあなた小川組の、いうなら正義さんの家内の里にもなります。
里というよりも兄弟のあの生コンをやっておる家なんです。そこのあの大きなその機械の下敷になってですね、そこの使用人がもう即死だった。その葬式がありましたから丁度おかげ頂いてと言う、ほうそんな事じゃったね。私の家に一人家の内に一人が、信心させて頂いたらですね、一家が助かると言われるから、一家中が信心すりゃ、その村が町が助かると言われる位。けれどもですね、それをやはり受け入れる気持ちがなからなければ駄目だということですね。
それであの正義さんの家内、タツエさんと言いますが、タツエさんの兄弟の家なんです。けどもあの人が信心しよるのを、まいうなら笑う位なことなんです。只ああいう羽振りを利かせておりますし、ま日々勢いめぐっておる、大きな小川組というそこの息子ですから、その人が生コンやってるわけなんです。それがですね、もうどうしてそのああいうことがあるだろうかと、いうてから言うておりましたが、大きい機械をこう上に上げる。上げて止めておく機械があるそうです。
そこにですね転んだらしいんですよ。転んでそのその機械が落ちてくる、その機械にぶつかって転んだ。大体その位のことで落ちる筈はないのだけれども、その機械が上からガチャとこう大きい機械が落ちて来たんですね。ですからもう即死だったとこう言う。その話この話、一日おきに久富組、久富建設の話聞かせて頂いてから思うんです。それを聞いて、今あのマサエさんに話しましたが、あちらの関係があってから知って居ります、その事を。はぁほんとに私もそれをあの見てきましたけれども。
それこそ大体あたる所にある機械じゃない。それがそこに当たって上から落ちてきたんだ。もう本当に大変な事でしたというてから、正義さんも話して居りましたが、それを見たり聞いたりしてからですたいどう思うかて。おかげを受けると受けないというのは、もう紙一重なんだと、ね。人一人が片一方はもう一遍にそのそういう、ま、惨事に合い片一方はもう本当にあう 一歩手前におかげを頂いて居ると言う事。ね。
ですから信心させて頂いて居ると言う事が、有難いと言う事をよくよく分からして頂いて、いよいよほんとの信心を、身につけさせて頂かねばいけないなと、ま話した事でございますけれどもね。私共こうやって何でもない、それは様々な日々的、そのおかげを頂く為にです、ね、日々稽古させて貰っております。それだけでございますなら、ほんとにあの身に徳を受けるために、信心修行が為されて居りますけれどもです。
そういう神様の特別な働きが頂けるということを確信出来れる。例えばんならお父さんやすお?がこうでございますというて、その電話かけてきた時に心配するなと。日頃何の為に信心しとるか、心配要らんぞ。例えばその言えれる信心なんです、ね。そういう信心を身につけておかなければならない。そしておかげを受けると受けないということはもうほんとに紙一重だと言う事、ね。その紙一重の所をお互い大事にさせて貰う信心をしなければならんと思うですね。
どうぞ。